五月雨をあつめて早し最上川 松尾芭蕉

ゆく先々で宗匠をも待つ人々が居たが、芭蕉は親しい門人は別として、同じ人々と二度と座を組む事は無かったという。親しめば情が湧き、仲間のうちのなれあいに陥る。それを拒絶して、孤高に生き寂しさに耐えた。そのたもの旅でもあったのだ。芭蕉の凄さはそこにある。そのことに気付いた時、私はとっつきにくかった芭蕉の句が好きになった。   下重暁子

野宿いろいろ 種田山頭火

波音おだやかな夢のふるさと

故郷を忘じ難し、そして留まり難し。

家郷を忘じ難しといふ。

まことにそのとほりである。

故郷はとうてい捨てきれないものである。

それを愛する人は愛する意味に於いて、

それを憎む人は憎む意味に於いて。

雨ふるふるさとははだしであるく

種田山頭火

ふるさとを思う 種田山頭火

ほうたる

こいこい

ふるさとに

きた

ふるさとは

みかんの

はなの

にほふとき

かすんでかさなって山がふるさと

ふるさとの言葉のなかにすわる

宮市はふるさとのふるさと、

一石一木も追懐をそゝらないものはない、

そして微苦笑いに値しないものはない。

うぶすなの宮はお祭のかざり

かめば少年の日のなつめの実よ

ふるさとの水をのみ水を あび

おもいでの草のこみちをお墓まで

ほろにがさもふるさとの蕗のとう

うまれた家はあとかたもないほうたる

寝るところが見つからないふるさとの空

ふりかへる ふるさとの山の濃き薄き

わかれきて峠となれば ふりかえり

秋日あついふるさとは通りぬけよう

種田山頭火

ふるさとを想う 種田山頭火

故郷は私たちが生きる上で、有る時は心の支えとなり、またある時は重荷となることもある。

ふるさとを捨て、家族も見捨てた、そんな印象を受けるかもしれない。

しかし実際には、ふるさとを離れてもなおふるさとを想い続け、故郷に足を運ぶことは出来てもそこに留まることは出来なかったのである。生涯にわたり、フルだとに対する深い愛情と葛藤があった。その思いが垣間見えたとき、山頭火の句は人の心を打つものになるのではないだろうか。

年とれば故郷こひしいつくつくぼうし

蕎麦の花にも少年の日がなつかしい

ふる里の言葉なつかしう話つゞける

いちにち雨ふり故郷のこと考へてゐた

海よ海よふるさとの海の青さよ

あの汽車もふる郷の方へ音たかく

種田山頭火